今となっては遠い日の出来事。
眩しい日差しを見上げるように過去の自分達の姿を見てしまったのは、叶うならばあの頃に戻りたいと心の何処かで願っていたからだろうか。
後悔が無かったと言えば嘘になる。
けれど、十年近く経てばこれで良かったと思える程度には日常を過ごしていた。
だからこそ駄目だったのかもしれない。
偶然再会した街の片隅の小さな居酒屋。
一人で飲むのもつまらないから付き合えと誘われても断らなかった。
もうお前など忘れていたと強がりたい面もあり、酒を飲みかわす程度なら大丈夫と高を括っていた。
『お前みたいなチビじゃ酒出して貰えねぇかもな。すぐに潰れるのがオチだ』
『悪かったね、変わってなくて。アンタこそ見た目に反して下戸なんて笑い話にならないんじゃない?』
退くに退けず、売り言葉に買い言葉の押収になってしまうのはやはり自分達だからか。
距離の近さは全てが終わった後だとは思い難くて、勧められるままにアルコールを煽った。
夢ならばこのまま覚めないで欲しい。
そんな未練がましい想いを抱いた罰が当たったのかもしれない。
「…夢?」
ズキズキと痛む頭を押さえて起き上がったリョーマは、つい先刻まで見ていた夢を思い出して首を傾げた。
どうしてあんな夢を、と思ったところで視界に入る景色の違和感に気付く。
見知らぬ部屋と普段眠っているものとは違う大きなベッド。
そして、隣に感じる自分以外の体温。
眠りに附く前の出来事が徐々に蘇り、一気に血の気が引いた。
全部夢という都合の良い展開にはなり得なかったのだ。
「どう…しよう」
恐ろしくて見ていないが、誰が隣に居るか分かってしまった。
まずい。これは非常に由々しき事態だ。
今すぐにこの場を離れよう。
混乱の中で辿り着いたのは至ってシンプルな結論。
酒の勢いと気の迷い。
これはお互いに忘れるべき出来事だ。
一人で納得したリョーマは相手を起こさないようそっとベッドから立ち上がる。
「うわっ…ホント最悪なんだけど」
その際、ドロリとした粘液が太腿を伝い自然と顔を顰めた。
致してしまったことは仕方ないと諦めていたが、避妊具はどうした。
目覚めた後の衝撃で気付かずにいたリョーマは中で出されてしまっていたという事実を受け怒りに唇を噛みしめた。
万が一なんてことがあっても責任なんて取れないくせに。
「こんなの…困るのアンタじゃん」
「誰が困るんだ?」
誰にも聞かれないと思っていた溜息と共に零れた嘆きに、何故か返ってくる声。
困っているのはアンタの隣に居る俺ですなんて到底言える余裕もなく、リョーマは固まる。
いつの間にか逃げようとしていた手もがっしり掴まれていて、振り向きたくもないのに振り返らざるを得ない現状。
名前を呼ばれて渋々ながら後ろを向いた先には、悪役宜しくの厭らしい笑みを携えた元恋人こと跡部景吾の姿があった。
「起きてたの?」
「まあな」
明らかにリョーマの様子を観察していただろう男へ問いかけると至極愉しそうに肯定された。
「やっぱりお前は変わらねぇな。見てて飽きない」
「そう。それならアンタも変わらないね」
跡部の表情に過去を懐かしむ色を見つけてしまい苦い気持ちになる。
終わったことだ。
変わらないものなんてあるはずない。
「もう気は済んだ? お互い良い歳なんだから昨日のことは忘れる。それで問題ないでしょ」
リョーマは淡々とした口調で跡部を振り払った。
しかし、彼は反省した様子もなくリョーマの身体を強引にベッドへと引き倒した。
反転する視界。
見下ろしてくる双眸の奥に隠そうとしない劣情を見つけて思わず目を伏せた。
「俺も大概馬鹿だって自分でも思うけど、アンタは本当最低」
これでは、酒だの何だのと誤魔化せないではないか。
あの日の夢の続きなんて要らなかったのに。
結局そのまま跡部に押し切られる形で身体を重ねた。
同じ場所を辿る指と唇。
忘れていたはずの記憶を行為の最中に思い出し、何とも言えない感情に襲われた。
きっと、この男は全てを分かってやっている。
昨夜も実は酔い潰れてなどいなかった。
最初からそのつもりだったのだ。
「昨日会ったのは偶然じゃなかったってこと?」
酔いから覚めた頭で苦々しく思いながら跡部に問いかけるが、返事の代わりに余計なことは喋るなと唇に噛みつかれ疑問は吐息と共に消えた。
何だかんだで抵抗しなかったのは、その気になった男から逃げられないと分かっていたからで、未だ捨てきれない過去の感傷から少しだけ流されようと思った訳ではない。
その考えこそが言い訳染みていると気付かないリョーマは、自分を納得させる理由を無意識に求めていた。
尤も、考え事をするなと跡部に指摘された上に容赦なく攻め立てられてすぐに他の事など考えられなくなったけれど。
漸く解放され、身体を横たえたベッドの隅でぼんやりと跡部の背中を見ていたリョーマは言葉にならない焦燥感に駆られていた。
すぐにでも此処から逃げ出したいという気持ちは前よりもずっと強くなっている一方で、いつまでも此処に居たいと思ってしまう矛盾。
随分と想いを引きずられてしまっている。
このままでは駄目だ。
戻れなくなる。
動くのは億劫だと訴える身体に鞭を打ってリョーマは起き上がる。
早く、此処から逃げないと。
「何処へ行くつもりだ?」
体重が掛かり軋んだベッドの音に気付いた跡部が行く手を塞いだ。
「…アンタの居ないとこ」
取り繕うことも面倒で素直に答えれば、男の口元がとても綺麗な弧を描いた。
「随分と嫌われたもんだな」
歪んだ印象を受ける笑い方にリョーマは薄ら寒ささえ感じて自然と後退る。
ギラギラと光る双眸は、まるで獲物を狙う獰猛な獣のよう。
「何が可笑しいの?」
もしかしなくても、とっくに出口を失っていたのではないか。
跡部の行動が示す意図。
「お前がこの俺様を見縊っていることだ。二度も逃がすと思うのか?」
過去に囚われていたのは自分だけでは無かったことを知った時、リョーマの心は確かに歓喜に震えていた。